マナーマが初めてイスラーム史に出現したのは1345年である。1521年にポルトガルにより占領され、その後1602年にペルシア人が占領した。1783年以降、ハリーファ王家による指導の下に入ったが、幾度と無く支配が妨げられ、現在に至る。1958年に自由港として指定され、1971年のバーレーン独立時に首都となった。
(wiki)
おぉ、ポルトガルの支配下に入っていたのはwikiの記述を見て驚いた。アジア、日本への足がかりとなる拠点だったのだろうか。
バーレーンへの事前情報や知識はほとんどなかった。私自身、人よりかはイスラム史・アラブ史には詳しいと思うが、授業や本でバーレーンについての記載が出てきたことはほとんどなかったと思う。
中東の場合、教科書に載らない=平和な国家が存続している、ということがあると思う。あまり教科書では出てこないサウジアラビア、オマーン、アラブ首長国連邦、カタール、バーレーンあたりは女子旅ができるほど平和に落ち着いている国だ。
そんなバーレーンにサウジアラビアのダンマームから行った時の記録。
私はSAPTCOというサウジアラビアのバスに乗った。HPはこちら。
記事を書いていてなぜかHPが開けないので、bookawayという予約サイトのスクリーンショットになるが、2025年2月時点で1日4便ほどマナーマ行きのバスを運航している。

ダンマームのSAPTCOのバスターミナルはこちら。

国境越えはアクアラインのような橋の上。荷物検査も含めて非常にスムーズな国境越えだった。他には欧州系バックパッカー数人が同じバスに乗っていた。そのほかは週末の買い物に出かけるサウジアラビア人だった。

私はサウジアラビア・リヤドに引き続き、ここでもカウチサーフィンを利用した。もっとも、車がないと観光が難しくなるのが中東諸国の特徴。ドバイのようにバスやメトロがわかりやすい形で走っていれば良いのだが、ここはそういうわけでもない。
喜んでドライブに連れて行くよ、と言われたのでそれに甘えることにした。
会ってすぐに旧市街でお昼ご飯を食べた。
旧市街はお土産選びが楽しい。絨毯やランプなど、手工芸品がたくさん売られていた。
ご飯を食べ終わったら市内中心部をドライブ。湾岸諸国にありがちな色のガラスを使った建物がたくさん。

その後連れて行ってもらったのが、モスク。Al Fateh Grand Mosqueというバーレーンでもっとも大きなモスクだそうだ。入ることはできなかったが、新しく綺麗なのが外からでも分かった。

最後は少しマナーマから離れて、南の砂漠の方に連れてきてもらった。航空写真で見るとよく分かるが、市街はほとんど島の北側に集中している。

南側の砂漠ではこうした掘削機などの重機をよく見た。

こちらはTree of Lifeという観光名所。砂漠にポツンと木がそびえ立っている。周りではキャンプをしたり、BBQをしている現地の方がいらっしゃった。


こうして数時間のドライブを終え、ガイドをしてくれたバーレーン人青年と別れ空港へ向かった。乗ったのはペガサス航空というトルコのLCC。ヨーロッパからのフライトはあまり多くないが、中東各国とのネットワークは非常に発達しているので機会があれば訪れてみていただきたい。