【ウクライナ】ウクライナの春#11 FINAL 旅の振り返り #ワルシャワで二郎系 #ブチャ訪問 #鉄道

2018年3月

クラクフ→キーウ→プラハのフライトのトランジット中、私は初めてのウクライナ訪問を果たした。トランジット時間は4時間。1時間前には空港に着いていたいので実質は3時間ほどか。

地球の歩き方によるとボリスピリ空港から市内まではバスで40分ほど。往復で90分かかるとしても残りの90分くらいは観光に充てられる。黄金の修道院くらいは見てみたいと思っていた。

空港の到着ロビーを抜け市内へのバスを探す。幸いすぐに見つかった。この時はおそらくキリル文字を読めなかったように思う。どのように探したのだろうか。

バスに乗ると窓ガラスは曇って外が全く見えない。この日は霧雨、気温3度。車内はほぼ満員でキーウの中心部を目指して行った。

私にとって東欧と呼ばれる国への訪問はポーランドに続いて2カ国目。しかし、空港を出てからのソ連をひしひしと感じる景色により両者が全く異なる国ということをまじまじと実感した。

市内までの道は覚えていない、というよりガラスが曇っていて全く見えなかったのを覚えている。ただ、バスのスピードが本当に遅く、40分では到底つかないことにイライラしていた。結局キーウの駅に着いたのが90分後。空港までの帰路でこれ以上時間がかかったらフライトを逃してしまうことになるので、駅前を少しフラフラして空港に向けて帰らざるを得なかった。

とにかくグレーで暗い。それがキーウの第一印象だ。

2019年8月

翌年、キーウ観光のリベンジを果たそうと、当時中東とコーカサス三国を旅行していたタイミング。アルメニアのエレバンから留学先のイタリア・ヴェネツィアに向かうフライトをキーウ経由で予約した。トランジット時間は5時間。今回は行けるだろうと思っていた。

しかしエレバン発のフライトが2時間半ほど遅延。トランジットで空港の外に出ることも叶わず、2度目にして、初めての黄金の修道院を見ることを断念せざるを得なくなった。

飛行機の窓から見た夏のキーウは青と緑。とても明るく、瑞々しい。

2025年5月

6年ぶりにして3度目の訪問のキーウ。陸路で行くとは思っていなかった。

もともと夜行列車や夜行バスがあまり得意ではない。これまでも海外でそれらを使ったのは以下の4回ほどである。ブラジルとペルーに関しては合理的な手段が他になかったからである。

・マドリード→リスボン(電車):スペイン
・サルバドール→レシフェ(バス):ブラジル
・イカ→ラパス(バス):ペルー
・ラパス→プーノ(バス):ペルー

ただ、今回は陸路での入国を考える必要がある。入国の仕方として候補に上がったのがポーランドのワルシャワやクラクフから、またはモルドヴァのキシナウから電車かバスでの方法。ルーマニアやスロヴァキア、ハンガリーからも可能なのだろうが、現在住んでいるバルセロナからのフライトとキーウへのトータルの所要時間を考えると検討の余地もなく、詳しい行き方を調べてすらいない。

「ヨーロッパで唯一、ワルシャワで二郎系ラーメンが食べられる!」と聞いたのが数ヶ月前。このラーメン、という理由で私のワルシャワ行き、ワルシャワ発の電車によるウクライナ入国が決定した。

ワルシャワに来るのもここ10年で3回目か4回目。市内の見どころはすでに訪れてしまっているので、本当にラーメンと国際列車が目的で来たことになる。来るたびにワルシャワがどんどんモダンな、西欧的な街へと変貌していると感じる。公共交通機関はまだ東側の雰囲気を感じるが、街の建物や男女の服装、中心地の雰囲気はフランクフルトやミラノで見るようなそれに近いものがある。

さて、ワルシャワのG-Ramen Kikuyaに到着。オーダーシートなるものがあり「にんにく、入れますか?」と尋ねられている。夜行列車前だったため量はかなり減らしてしまったが、大変美味しい味わい。海外ということによる感動補正が若干入っているかもしれないが、日本の二郎系同様の、おそらく日本でお店を出されていても行くであろう納得の味だった。

今回のワルシャワでのミッション、「二郎系ラーメンを食べる」もコンプリート。幸福度がかなり高い状態で夜行列車に乗り込んだ。ワルシャワ→キーウの夜行列車の記録は以下の記事を参考いただきたい。

列車は定刻通りキーウに到着。天気は快晴、きっと良い旅になるに違いない。

(駅前広場)

ある女の子との出会い

キーウでは何人かのウクライナ人の友達に会った。これまでに会ったことのある人もいれば、初めてここで会った人もいる。最も印象に残っているのが23歳の女の子。アジア地域の歴史研究家であり、中国語HSK4級を持っており、軍隊経験者という若くしていろんな経験をされている方。


一緒にキーウ中心地を歩いて、カフェに行ったりボルシチを食べたりした。当たり前ではあるが、会う会う人、ロシアに対しては最大級のネガティブな印象、ヘイトを持っておられる。それはクリミア半島出身者でロシア語が母語の友達でも同様だった。

私:「どうして軍隊に入ったの?」
彼女:「ロシアを倒したいから。戦争が始まって以来、何も動かずにはいられなかった。」
私:「怖くないの?」
彼女:「もちろん怖い。家族は反対をしていたし、弟は今徴兵を逃れるためにスロヴァキアで暮らしてる。」
彼女:「実は私はすでに結婚していて、夫がいた(過去形)。夫は同い年だったけど2022年にバフムトで亡くなった。」

こんな会話をしていると雰囲気が暗くなりそうなのだが、彼女はいたって明るかった。旦那さんが亡くなって3年も経てば心が切り替わるようなものなのだろうか。とても強いと思った。(実際この子とはとあるアプリを通じて知り合った)

「軍隊には3ヶ月しかいなかった。長官があからさまに女性蔑視な対応をしてくる。大多数の男性の中で少数派の女性はとにかく居づらかったし辛かった。ロシアを倒したい、という気持ちはみんな同じなはずなのに、それが原因でやめてしまった。」

軍隊は軍隊で、どれほど強い意志があろうとある意味過酷な場所なのだろうと思わされた。市内には常に隊員募集のポスターが掲出されており、街中に採用カウンターのようなものもあるのだが、女性は蚊帳の外、という感じがした。もちろん女性が活躍できる職種(救護班、調達班など)もあるのかもしれないが、少なくとも武器を持って全線で戦うソルジャーとしては女性は対等に見られていないようだった。

ウクライナとコーヒー

キーウの街自体はすごく落ち着いている。午後はカフェにたくさんの人が集まり、仕事が終わった夕方にもなれば若い人が街へ繰り出し、繁華街は相当な賑わいを見せている。もともとバリスタとしてコーヒー屋さんでバイトをしていた私は各国のスペシャルティコーヒーを提供しているカフェにとても関心がある。スペシャルティコーヒーがそもそもどのくらい受けられているのか、どんな雰囲気のお店なのかなどなど。

キーウにとどまらず、ウクライナのコーヒー屋さん文化はとても素敵である。どこの街にも下北沢や自由が丘にあるような、おしゃれな外観、居心地の良い店内席、クオリティの高いコーヒーの三拍子揃ったカフェが点在している。試しにキーウやリヴィウなどの大きな街を対象に、「Specialty coffee」で検索してみて欲しいのだが、そのカフェの多さに驚くはず。おそらく東京の比ではない。お店に来る人も純粋なコーヒーラバーが多く、ラップトップを広げて真剣に仕事をしている人もまた素敵である。

ブチャ訪問

今回の旅で訪問した都市は以下の通りである。

・キーウ
・ブチャ
・ハルキウ
・リヴィウ
・イヴァノ・フランキフスク

ブチャ以外の4つの大都市については過去の記事で何かしら触れているので、簡単にブチャに関する記録をしておく。ブチャという名前はロシア軍がキーウ近郊まで侵攻してきた2022年2~5月ごろにもっともよく聞かれたウクライナの街の名前の一つ。ロシア軍の占領の過程で多くの一般市民が亡くなった場所である。

現在、ブチャには簡単に行くことができる。キーウ中心部からはメトロと近郊電車を乗り継いで50分ほど。ロシアが侵攻してきた時に落とされたであろう川にかかる橋も現在は綺麗に戻っており、そのおかげで電車がきちんと機能している。

現在のブチャの様子はごく普通のウクライナの大都市近郊住宅地である。有り余る土地を活用して道沿いに並ぶのはたいていが一軒家。アパートなどの集合住宅はほとんど見ることができない。公園には犬を連れて散歩をしている人、ランニングをしている人、ベビーカーを押している人など、これらも他の街と変わらない、普通の日常だ。

当時「死の通り」と呼ばれたYablunska通りに行ってみた。この通り沿いで多数の遺体が発見されたり、拷問→殺害が行われた、という通りだったが、今はとても静かな状態だった。ただ気づいたのは、空き家が多かったことだ。おそらくもうすでに住民不在(亡くなってしまった)となってしまったのが、この場所に新たに住みたいと思う人がいないのか、理由は定かではないが、庭が荒れている一軒家が多い。朽ち果てた車、玄関の扉がそのままになっているお家もある。これは2022年から変わっていないのだろうと思った。

街を1時間くらいフラフラしていた。この街ですることはそれ以外特にないので駅のホームで電車を待つ。だいたい1時間に1本くらい、近郊電車はやってくる。これを逃したらまた1時間、タバコを吸うか、フラフラするかで時間を潰すしかない。ブチャはそんなところである。ただ、これでよいのだ。もともと郊外のベッドタウンなど、日本であってもすることがない。今のブチャはとても平和で、赤ちゃんがママと外出できる、お年寄りがカフェのテラス席で談笑に耽っている、それができる街なのだ。

ウクライナと鉄道

私の今回の旅での移動手段のメインは鉄道だった(各鉄道の記録はその他の記事を参照いただきたい)。もっぱら、商用機が機能していないウクライナにおいて、早く、確実に移動できる手段は鉄道しかない、というのが理由なのだが。バスも対抗手段として考えられるが、さすがにウクライナでも早さの面では鉄道に軍配が上がる。費用を考えるとバスという選択肢もなくはないが、座席の状態で長時間揺られることになるのはやはり避けたい。


私は以下のルートで鉄道を利用した。

・ワルシャワ→キーウ(3人1室)
・キーウ←→ハルキウ(4人1室・Coupeクラス / 2-2 Firstクラス座席)
・キーウ→リヴィウ(2人1室Deluxeクラス)
・リヴィウ←→イヴァノ・フランキフスク(4人1室・Coupeクラス)

ウクライナは広大な国内を鉄道が走る、という都合上、長距離列車は昼夜を問わず寝台車が走っている。終着駅に着くのが24時間後、というような路線もある。夜の22時に出発した電車であっても、平気で次の日の日中に走っている。日中の電車はベッドタイプにしている人もいるし、座席タイプで座っている人もいる。どちらになるかはたまたまコンパートメントに居合わせた複数人の合議のもと決定される。

様々なクラスを体験することができたが、車内は比較的快適。ベッドリネンも新しいものがきちんと整頓されて部屋に置かれているし、マットレスも快適な硬さのものだった。

トイレは上位クラスだと通常イメージするものだが、下位クラスだとトイレ下のボタンを足で踏むと溜まっていた自分の汚物が線路に向かって排出される仕組み。便器の底から線路の砂利が見えるようになる、あれである。なぜトイレのクオリティにクラス差をつけるのかがわからないが、今のところはこの状況。冬ならまだしも、夏の線路は悲惨なことになっていそうな。

駅構内で写真や動画を大々的に撮影するのは個人では憚られるため、なかなか多くを投稿できないのが残念なのだが、以下のANN Newsの動画が私が見た駅や人々の様子をもっともよく表していると感じた。


人々は列車を頼りに生活されている。私がキーウであったあるウクライナ人女性は来週マルタに、10月に日本に行くと言っていた(男性18歳〜60歳の出国は原則禁止されている)。マルタに行くにしてもまずはキーウからワルシャワかクラクフのような国際空港がある都市に夜行列車で15時間かけて移動、そのあと国際線でマルタに移動という流れ。乗り継ぎ時間によってはもしかしたら日本からマルタに行く方が早いかもしれないような、そんな長旅だ。

バルセロナに戻る帰りの飛行機はポーランドのクラクフから乗った。隣に座っていたのはロシア語を話す40歳くらいの女性。さらにその隣とその後ろには小学生くらいのお子さん2人。話を聞いてみるとウクライナ南部の出身だということが分かった。家族でFCバルセロナの試合を見に行くとのこと。南部の街からキーウまで、キーウからクラクフまで移動してようやくバルセロナに向かう飛行機に乗ることができる。途中でやめたくなるような超長旅だと思うが、もうすぐ憧れのバルセロナの試合を見れるからか可愛いらしい髪型の少年たちは飛行機の中で全く疲れていない様子。とても嬉しそうにバルサのグッズを見せてくれた。

終わりに

これまでの旅行記は遥か昔に行った旅行を思い出して内容を書いていることが多かったが、今回のウクライナ旅行はなるべく旅行中に文章を書くことを進めていた。少しはリアルなものになっているのではないかと思う。

2025年5月のウクライナは、プーチンが対独戦勝記念日に先立って一方的に宣言した停戦期間中も攻撃を続けるなど不安定な状況が続いている。ただ、滞在する街をしっかり選ぶこと、攻撃リスクが少ないエリアでの宿泊とすること(攻撃対象となりうる施設の近くは避けるなど)に気をつければ全く問題なくウクライナを旅行することが可能である。


3回目のウクライナにして、初めての本格的な旅行。ウクライナにはとても美しい宗教建築、自然、美味しい食事があり、おそらく今後数世紀は引き続き変わらないであろうソ連感に包まれた街を楽しむことができる。USSR建築やそれが醸し出す街の雰囲気はどこがダークで、どんよりしたものである。しかし、多くの建物の中はきちんとリノベーションがされていて、他のヨーロッパ諸国同様の近代的な生活ができるものとなっている。(ぜひエアビに積極滞在してみていただきたい。素敵なアパートメントばかりだ)

現在のウクライナ、確かにテレビやSNSでは悲しいニュースが多い。実際私がキーウを離れた次の日にも大規模な攻撃が発生していた。しかし私が会った人、街で見た人で暗い人はいなかった。どこかに毎日を活きる活力を見出しているような、プラスの感情があったような気がする。暗いニュースの印象でウクライナの今の街を訪問すると、おそらく拍子抜けすることになると思う。中心街にはどこの国でもある人々の賑わいがあって、昼間の公園を散歩すればたくさんの小さな命も感じることができる。ごくごく普通の人々の暮らしがあって、それを続けることを選んだ国民がいるのだ。

2025年5月、ウクライナの街はたくさんの黄色と青に包まれている。小麦畑の色と、真っ青な空を表す国旗が夏の到来を感じさせる清しい青空を背景に揺らめいている。

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