【ウクライナ】ウクライナの春#10 リヴィウからイヴァノ・フランキフスクへ #街歩き #日帰り

リヴィウがあるウクライナ西部、ガリツィア地方は良くも悪くもソ連ぽくない。ポーランド・リトアニア時代には300年も渡り支配者層がウクライナ人(ここではウクライナ語話者)ではなく、18世紀にはハプスブルク家領に、のちにオーストリア・ハンガリー帝国に組み込まれた。

(wikipediaより)

そのため、街並みや文化はどこかウクライナよりは西欧的である。意識や目線が東側(キーウの方)ではなくワルシャワやウィーンの方に向いているイメージ。ただ現代の「ウクライナ」という国家の枠組みで見たときにこの地域の住民は大変重要な存在である。この地域では9割以上の住民がウクライナ語を話しており、ロシア語話者が多数のウクライナ南部・東部とは言語状況が全く異なる。

民族意識や国家意識(ナショナル・アイデンティティ)を形作る一つの要因に言語があるが、ウクライナ語話者によるウクライナ、と考えた時に、ウクライナ語話者がマジョリティのガリツィア地方住民の存在はなくてはならないものだ。ウクライナの過去の大統領選挙結果を見ても、新EU派は西部で支持され、新ロシア派は東部・南部で支持される、というように言語によって選挙結果がきっちりと分かれるような国内。その中で西部の一都市リヴィウはウクライナ文化の中心都市として国民に認識されている。

(2010年、親ロシア派・ヤヌーコヴィッチ大統領が当選した時の選挙結果。東部・南部でより支持されていることが分かる。首都キーウでの支持は50%以下だった模様)

今回はリヴィウからガリツィア地方の他の都市、イヴァノ・フランキフスクという街に行った時の記録である。初めに断っておくが、イヴァノ・フランキフスクは州庁所在地となっているような都市だが、ほぼすることがない。2~3時間もあれば十分である。

リヴィウからイヴァノ・フランキフスク行きの141列車に乗り込んだ。だいたい3時間くらいの長旅である。


行きも帰りも4人席を独占。この電車の始発駅はウクライナの彼方東の街のどこかである。キーウかもしれないし、ハルキウかもしれない。ドニプロやザポリージャのあたりかもしれない。長いと始発駅の出発は20時間も前である。何人かの人がここで寝て、ご飯を食べて、空襲警報を何回か聞いているかもしれない。そんな、ようやく終着駅に向かおうとしている寝台列車の末端区間の乗車である。


ウクライナには国内の都市をすごいルートで、なかなかの時間をかけて走る長距離路線が多数設定されている。ドネツクやルガンスク、クリミアへの支配がきちんと及んでいた時期にはもっと広大な路線網だったのだろうと思う。


実際のところ、イヴァノ・フランキフスクの街でやったことはパスタを食べることと、中心の広場に行くこと、教会を2件訪問すること、以上である。

電車の中で「イヴァノ・フランキフスク 観光」と検索してみる。するとなんと、観光情報がほとんど出ない。ウクライナ人の友人はイヴァノ・フランキフスクはおすすめだよ、と言っていたが、Googleが私にレコメンドする情報はほぼ皆無に等しかった。ウクライナ人は冬にスキーをしたりするそうな。

駅舎を出てみて驚く。ここはあくまでも州庁所在地である。千葉駅や大宮駅、横浜駅の目の前に該当するような道路に歩行者用信号がない。道の反対側を渡るために車が歩行者の横断を待っているような事態。道もボコボコで降った雨が大きな水たまりを形成している。運転手は水たまりを踏まないように、歩行者は水飛沫を浴びないように、お互いに警戒しながら走り、または歩いているような通りだった。

この街に着いたのが14時。帰りは16時半発の電車なので滞在は2時間半。それでも十分だった。

まず探したのはイタリアンレストラン。イタリアで留学していた者として各国のイタリア料理に大変興味があるのだが、その興味をこの街でも発揮させてもらった。

パスタが8種類くらいあったので、ボロネーゼを注文。店員さんは英語が話せる方ではなかったが、私はウクライナ語のメニューでボロネーゼと書かれている箇所を指差し、かつボロネーゼのウクライナ語読みで発音したつもりだったが、席に届けられたのはラビオリのようなものだった。だいたいボロネーゼより150円くらい高い。150円なのでなんとも思わないが、物価の国でこれが起こったらうーんと思ってしまう。ただパスタ自体は美味しかったし、そもそもスラブ系の言語が何もできない私がいけないので、特に無問題である。


レストランを出て街の中心の広場にやってきた。あいにくの雨模様。


広場すぐ近くの「Church of Virgin Mary」と英語で訳される教会に来てみた。チェコにありそうな可愛らしい外壁カラー。


「Restaurant Hotel Franz」というホテル兼レストランの前に立っていたフランツ。このフランツとは誰なのだろうか。ヒゲを見るにおそらくオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世??


駅に戻る途中にもう一つ教会を発見。

とまあ、こんな感じの日帰り旅である。仮に晴天であったとしても行く必要があるか?と言われてしまうと返す言葉がない、くらいの街だが、大都市ではないウクライナの地方の街を感じるのには良いと思う。アクセスもリヴィウから電車1本ででき、ある程度の本数も確保されている。リヴィウ周辺でよほど時間がある方は、イヴァノ・フランキフスク、いかがだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA